懐徳堂の総合的研究

日本学術振興会科学研究費基盤研究(B)「懐徳堂の総合的研究」
(研究代表者:竹田健二、平成25年度~平成28年度)

■研究組織

研究代表者

  • 竹田健二(島根大学教育学部教授)

研究分担者

  • 湯浅邦弘(大阪大学大学院文学研究科教授)
  • 寺門日出男(都留文科大学教授)

連携研究者

  • 藤居岳人(阿南工業高等専門学校教授)
  • 矢羽野隆男(四天王寺大学教授)
  • 湯城吉信(大阪府立大学工業高等専門学校教授)

研究協力者

  • 杉山一也(岐阜経済大学准教授)
  • 久米裕子(京都産業大学准教授)
  • 佐野大介(懐徳堂研究センター教務補佐員)
  • 清水洋子(福山大学専任講師)
  • 前川正名(台湾・高雄餐旅大学・助理教授)
  • 黒田秀教(台湾・明道大学助理教授)
  • 池田光子(財団法人懐徳堂記念会研究員)
  • 草野友子(大阪公立大学客員研究員)
  • 中村未来(大阪大学助教)

■研究目的(概要)

本研究は、近世以降の日本における儒教の中心地の一つとして従来注目されることの少なかった大阪に焦点を当てて、江戸時代の大坂学問所・懐徳堂と、大正から昭和初期にかけて財団法人懐徳堂記念会が運営した重建懐徳堂とを、中断を挟みながらも連続する一つの学校として位置付けた上で、(1)懐徳堂・重建懐徳堂の学問について、総合的な資料調査を基盤とした実証的解明を行うこと、(2)懐徳堂・重建懐徳堂の学問を中心として、近世以降の大阪における儒教の展開の全容を解明すること、(3)大阪における儒教が日本の儒教史において占める位置を解明すること、を目的とする。

■研究の学術的背景

江戸時代に大坂にあった懐徳堂は、大阪の学問的源流と位置付けられる、漢学の学校である。懐徳堂は享保9年(1724)、「五同志」と呼ばれる大坂を代表する大商人らを中心に設立され、享保11年(1726)に江戸幕府による官許を得た後、いわば半官半民の学校として大坂の文教を担った。懐徳堂の学問は、初代学主の三宅石庵に特に陸王学の影響が強く窺えるが、懐徳堂創立時から助教を務めた五井蘭洲、及び蘭洲の教え子である第4代懐徳堂学主の中井竹山と弟の中井履軒により、朱子学中心に定まったとされる。

懐徳堂は明治2年(1869)に閉鎖されるが、明治43年(1910)、懐徳堂の顕彰を目的とする懐徳堂記念会(以下、記念会)が設立された。大正2年(1913)に財団法人となった記念会は、大正5年(1916)に講堂(重建懐徳堂)を建設、この重建懐徳堂において多数の講義・講演を実施し、第2次世界大戦末期に焼失するまで、大阪の文科大学・市民大学として機能した。記念会は、西村天囚の『懐徳堂考』を刊行するなど、懐徳堂に関する研究を進めた。同時に、懐徳堂の学主を務めた中井家の子孫から寄贈を受けるなどし、懐徳堂関係の遺書・遺物を多数収集した。記念会は、戦後それらを大阪大学に寄贈し、現在懐徳堂文庫として収蔵されている。重建懐徳堂は、むろん江戸時代の懐徳堂と同じような漢学のみの学校だったのではない。しかし、記念会は「儒教の倫理綱常を講明して以て世道人心の汚下を挽救せんと欲す」(『懐徳堂記念会会務報告』)との意識を根柢に有しており、その活動は近代日本における儒教の展開の一面と捉えることが出来る。

従来日本儒教史は、ともすれば江戸(東京)と京都とを中心として理解されることがほとんどである。しかしながら、江戸時代の大坂学問所・懐徳堂と大正から昭和初期にかけての重建懐徳堂とを、中断を挟みながらも連続する一つの学校として捉えるならば、大阪も日本儒教史において重要な存在と位置付けることができる。しかも、懐徳堂・重建懐徳堂に関する資料は、大阪大学の懐徳堂文庫を中心に、まとまった形で現存する。

日本の学術史や大阪文化に対して懐徳堂が果たした役割については、近年国際的にも高い関心が寄せられている。そのことは、Tetsuo Najita ; Vision of Virtue in Tokugawa Japan ─ The Kaitokudo, Merchant Academy of Osaka ─ 1987, Chicago(邦訳:子安宣邦訳『懐徳堂 一八世紀日本の「徳」の諸相』、岩波書店、1992年)や、陶徳民『懐徳堂朱子学の研究』(大阪大学出版会、1994年)などの刊行からも窺うことができる。

長い歴史を持つ懐徳堂・重建懐徳堂は、関わった学者の数も多く、その学問全体は全体としてかなり複雑である。従来、懐徳堂・重建懐徳堂の学問を総合的・実証的に解明しようとした研究は皆無であり、しかもこれは個人研究として十分に成果を上げることが極めて困難である。

近年、懐徳堂文庫の資料などの活用により、幕末期の懐徳堂や、或いは重建期の懐徳堂の活動などについて、従来知られていなかった新事実が数多く明らかとなってきた。そうした研究成果は、本研究の代表者である竹田の著書『市民大学の誕生―大坂学問所懐徳堂の再興―』(大阪大学出版会、2010年)、分担者の岸田の著書『漢学と洋学―伝統と新知識のはざまで―』(同、2010年)、同じく分担者の湯浅の編著書『江戸時代の親孝行』(同、2009年)・著書『墨の道 印の宇宙 ─懐徳堂の美と学問─』(同、2008年)の出版などにより既に発表されている。

本研究の代表者である竹田、及び研究分担者の湯浅・寺門、3名の連携研究者、研究協力者の池田(財団法人懐徳堂記念会研究員兼主事)は、平成12年に懐徳堂研究会(代表:湯浅邦弘)を立ち上げ、以後懐徳堂に関する共同研究を継続的に行ってきた。この共同研究は、(1)平成13~15年度の科学研究費基盤研究(A)「デジタルコンテンツとしての懐徳堂研究」、(2)平成16年度大阪大学大学院文学研究科共同研究「懐徳堂文庫貴重資料の総合調査と電子情報化の推進」、(3)同・17年度共同研究「懐徳堂の「書」と「印章」─総合調査と電子情報化─」、(4)平成16~17年度文化庁委嘱「「懐徳堂文庫」貴重資料のデジタル・アーカイブ化に関する調査研究」、(5)平成19年度の科学研究費補助金・研究成果公開促進費による『懐徳堂研究』の刊行(汲古書院)などの共同研究として進められてきた。本研究は、そうした共同研究を更に発展させるものであり、本研究を遂行し、かつその目的を達成するための前提となる準備は、既に整っている。

■研究期間内に何をどこまで明らかにしようとするのか

研究期間内において、大阪大学附属図書館の懐徳堂文庫資料を中心に、国立国会図書館・内閣文庫などが所蔵する関係諸資料や、誓願寺で発見された西村天囚書簡などの新資料をも含めた総合的資料調査を進め、それを踏まえて懐徳堂・重建懐徳堂の学術的意義を、中国思想・中国文学・日本儒教史など様々な観点から多面的に検討・考察する。そして、その成果をこれまでの研究成果と集約し、大阪における儒教の展開の全容を総合的に解明し、大阪における儒教が日本儒教史において占める位置を考察・解明する。更に、将来の研究活動に資するべく、懐徳堂・重建懐徳堂に関する貴重資料・新出資料の調査、及びそれらのデジタルアーカイブ化を進め、WEB懐徳堂(http://kaitokudo.jp/)の内のデータベースの飛躍的な拡充を行う。

■当該分野における本研究の学術的な特色・独創的な点及び予想される結果と意義

本研究は、懐徳堂・重建懐徳堂という連なる歴史を有する学校を軸として、そこで営まれた様々な知的活動を中心として大阪の儒教の展開を分析し、その成果を総合する共同研究である。一人の思想家、一つの文献資料を中心にした学術研究ではなく、長い歴史を持つ懐徳堂・重建懐徳堂という学校を研究の中心に据えた共同研究であるという点が、独創的である。そして、懐徳堂の学術的意義について、中国思想、中国文学・日本儒教史などの観点から多面的に描き出す点、例えば、懐徳堂・重建懐徳堂に存在した祭祀空間に注目し、日本・中国に残存する近世「書院」に起源を持つ「学校」の「祠堂」「孔子廟」などと対比しながら、懐徳堂における儒教を明らかにする点、また明治末の懐徳堂記念会設立から約100年後の今、重建懐徳堂をも歴史研究の対象として位置付ける点に、本研究の学術的な特色がある。

予想される結果と意義としては、一般に日本漢学に関する従来の研究は、江戸の漢学、或いは京都の漢学を偏重することが多い。その中で本研究は、もう一つの柱として大阪の漢学を加え、山片蟠桃や富永仲基などのユニークな町人学者をも視野に入れることで、日本儒教史の再構築に結びつく結果が得られるものと期待される。

更に、特に中井履軒の業績に顕著に見られるように、懐徳堂の学問には経学研究以外に医学、本草学、天文学など、自然科学に関する先端的な業績が含まれている。また、懐徳堂関係の資料には、書籍類以外に書画、印章、屏風、版木など、文化財として貴重な器物類が多数現存している。本研究は、そうした多面的な懐徳堂の魅力を総合的に描き出す結果が期待される。

なお、本研究は上記(1)「デジタルコンテンツとしての懐徳堂研究」などの成果を踏まえて、これまで懐徳堂研究会として取り組んできたWEB懐徳堂を一層充実させるものである。研究成果をデジタルコンテンツとして公開し、またそれを共有しながら研究推進を図る点は、伝統的な人文学と新しい情報工学との学際的研究としての性格を有するものである。