含翠堂旧蔵書の調査

含翠堂旧蔵書の調査について

竹田健二

   含翠堂と西村天囚

 享保2年(1717年)、平野(現在の大阪市平野区)の有力者であった土橋友直を中心として創設された含翠堂は、懐徳堂よりも早くに創設され、長きにわたり人材を育成しました。西村天囚も「諸国の郷学中に罕比なる者」(『懐徳堂考』)として高く評価しています。

 明治43年(1910)1月29日に開催された大阪人文会第二次例会における天囚の五井蘭洲に関する講演は、天囚らを中心に懐徳堂顕彰運動が勃興する発端として有名ですが、実はこの講演の中で、天囚は含翠堂については全く触れていません(注1)。ところが、五日後の2月3日、天囚は平野に赴き、含翠堂について調査を行っています。講演の終了後、懐徳堂が創設される前に、既に含翠堂が平野に創設されていたことを、誰かから聞き及んだのではないかと推測されます。

天囚はこの調査で得た知見等について、『懐徳堂考之一』という資料の後半部に書き記し、その記述を踏まえて『懐徳堂考』を執筆しました。『懐徳堂考之一』は、天囚の故郷・種子島の西村家に所蔵されている資料の調査によって発見された資料の一つです(注2)。

 『懐徳堂考之一』の記録によれば、明治43年(1910)2月3日、天囚は大阪朝日新聞の久松定憲と「川田」という人物との三人で平野に赴き、多治見久太郎宅、平野小学校、光源寺の三箇所を訪問しました。平野小学校を訪問したのは、含翠堂が廃止された後、その蔵書が平野小学校に移管されていたためです。平野小学校において、天囚は含翠堂旧蔵書を多数実見しています。記録には、『十三経』・末吉宗伴『大学述古』・喜早(度会)清在『数祓講述鈔』・北畠親房『元元集』・明の呉廷翰『櫝記』の箱書き・序文・跋文・奥書等を書き留めています。もっとも、含翠堂の旧蔵書のすべてが平野小学校へ移管されたわけではありませんでした。この点に関して天囚は「堂内旧蔵の典籍は、今も什の一を小学校内に収蔵せり」(『懐徳堂考』)と述べています(注3)。

杭全神社所蔵資料の調査

 天囚が平野小学校において実見した含翠堂旧蔵書は、天囚が実見した後にどうなったのか、果たして現存しているのであろうか、との疑問を抱いた竹田は、2022年7月10日に大阪市立平野図書館を訪問して参考調査の担当者にお尋ねしました。後日図書館から、平野の郷土史を研究する平野歴史民俗研究会の方に連絡を取った結果、現在は杭全神社(大阪市平野区)に現存しているようであることが分かった、との連絡をいただきました。そこで8月8日に竹田が杭全神社を訪問し、杭全神社の禰宜・藤江寛司氏にお会いしてお話を伺いました。

 

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杭全神社宝蔵2階(右手の木箱群が含翠堂旧蔵書)

 

藤江氏によりますと、詳しい経緯については不明であるが、明治22年(1889年)に発足した平野郷町が大正14年(1925年)に大阪市へ編入されて住吉区の一部となった際、平野郷町役場の文書類と共に、平野小学校にあった含翠堂の旧蔵書が杭全神社へ移されたようである、とのことでした。もっとも、平野小学校にあった含翠堂旧蔵書のすべてが神社に移されたかどうかは分からないそうです。

この日、藤江氏の立ち会いのもとで宝蔵に入らせていただき、旧含翠堂の蔵書が入っているという十数箱の木箱を確認しました。天囚が平野小学校で実見している『十三経』は、平野出身の末吉利隆が、長崎奉行であった時に購入し、含翠堂に寄贈したもので、天囚は「函蓋には摂津守及び篠原盤谷の識語あり」(『懐徳堂考』上巻)と述べています。また、その識語を『懐徳堂考之一』に転写しています。杭全神社の蔵の中で、その『十三経』の木箱らしきものを何とか見付けることができましたので、その木箱の蓋の裏を見たところ、天囚が転写した識語が確かに記されていることを確認しました。

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2022年9月14日、竹田は池田光子・松江工業高等専門学校准教授、平野歴史民俗研究会の南田潤氏とともに杭全神社を訪問し、改めて宝蔵の中の『十三経』の二つの箱の中身などを調査しました。

もっとも、杭全神社に現存する含翠堂旧蔵書はかなり多数であることから、その全容を解明するにはチームを組んで改めて調査を行う必要がある、との判断に至りました。そこで、懐徳堂研究会のメンバーを中心に参加を呼びかけて、2023年3月4日(土)・5日(日)に第1回の杭全神社所蔵の含翠堂旧蔵書の調査を実施しました。この時の参加者は以下の通りです(以下、敬称略)。

湯浅邦弘(大阪大学大学院教授…4日のみ)

陶徳民(関西大学東西学術研究所客員研究員…5日のみ)

含翠堂旧蔵書『十三経』の木箱蓋裏

矢羽野隆男(四天王寺大学教授)

佐野大介(名古屋大学大学院准教授)

池田光子(松江工業高等専門学校准教授)

黒田秀教(福井大学准教授)

六車楓(大阪大学文学研究科博士課程…4日のみ)

横井裕人(大阪大学懐徳堂研究センター・文学研究科博士課程)

竹田健二(島根大学教授)

2023年3月調査時の様子

 3月の調査ではおおよそ木箱七つ分を調査しましたが、未調査の木箱がなお残っておりましたので、2023年9月2日(土)・3日(日)に第2回の調査を実施しました。この時の参加メンバーは以下の通りです。

湯浅邦弘(大阪大学名誉教授…2日のみ)

矢羽野隆男(四天王寺大学教授…2日のみ)

佐野大介(名古屋大学大学院准教授)

池田光子(松江工業高等専門学校准教授)

黒田秀教(福井大学准教授)

六車楓(日本学術振興会特別研究員PD)

横井裕人(大阪大学懐徳堂研究センター・人文学研究科博士課程)

下内大輔(大阪大学文学部)

南田潤(平野歴史民俗研究会)

中村達哉(オックスフォード大学地域学修士課程・杭全神社権禰宜…3日のみ)

竹田健二(島根大学教授)

 

 これらの調査の結果については、現在取りまとめを進めているところです。杭全神社には、なお未調査の資料も残っておりますので、近日中に3度目の調査を行った上で、杭全神社に現存する、旧含翠堂の漢籍に関する目録を作成する予定です。

 

   注

1…拙稿「資料紹介 西村天囚「五井蘭洲」(大阪人文会第二次例会講演速記録)」(『国語教育論叢』第18号、2009年)参照。

2…拙稿「研究ノート:西村天囚の懐徳堂研究とその草稿―種子島西村家所蔵西村天囚関係資料調査より―」(『懐徳堂研究』第10号、2019年)、竹田健二・湯浅邦弘・池田光子「西村家所蔵西村天囚関係資料暫定目録(遺著・書画類等)」(『懐徳堂研究』第12号、2021年)、拙稿「西村天囚の懐徳堂研究と『拙古先生筆記』」(『懐徳堂研究』第13号、2022年)、拙稿「翻刻 西村天囚著『懐徳堂考之一』(その一)」(『島根大学教育学部紀要』第55号、2022年)、同「その二」(『島根大学教育学部紀要』第56巻、2023年2月)、同「その三」(『島根大学教育学部紀要』第57巻掲載決定、2024年2月)参照。

3…以上は、竹田健二「西村天囚と含翠堂」(『懐徳』第91号、2023年1月)による。

[附記]杭全神社に現存する含翠堂旧蔵書の調査を実施するにあたり、杭全神社禰宜・藤江寛司氏、平野歴史民俗研究会・南田潤氏、大阪市立図書館平野図書館の協力を得ました。厚く御礼申し上げます。

(2023年12月14日記)

含翠堂旧蔵書の調査